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どこまで医療は発達すればよいのか?

自分の考えを文章にするのはむずかしいものです。
また、その文章が相手に伝わるのかも曖昧です。
で、今回は独り言として、メモとして、それでいて閲覧者にわかるように書いていきたいと思います。


高校2年生のころから考えてきたことです。
 どこまで長生きすれば気が済むのだろう?
人間の欲望は無限大ではない、一定量を超えれば「もぅ十分」というところまで行くはずだ
食欲も胃袋以上に大きいなんてことはありえない。
・・・この問の答えは、人それぞれだと思う
寿命が長すぎれば何度も何年も何十年も鬱病になりそうだ。
逆に短すぎれば「俺はなんだったの?なにをすべきだったの?」で終わってしまいそうだ。

そんなことを考えているとこんな質問がでてきました。

どこまで医療は発達すればよいのか?
たぶん、今後ES細胞やら何やらで臓器を作ることができる時代が来ると思います。
そうでなくても移植やらクローンやら。。。
そーなると。その気になれば、いくらでも長生きできる気がします。
この質問の答えは。。。私としての答えは分りません。
ある程度の答えは出てるんだけど、ぼやけた答えなんです。
。。。

最近、自殺のニュースが相次ぎました、彼らはなんなんだ?
なぜ?死を?
今日、また自分なりの答えが出たきがします。
何度か見え隠れするんですよね。
たぶん、これが手からこぼれていくって感じなんだとおもう。
・・・話がそれました。
私が思うに、「いつ終わるかわからない人生」というのが一つ自殺という選択に影響していると思う。
一瞬のうちに散っていく生命なら、自分が何を諦め何をすべきか、すぐにわかるはず
蛍や蝉なら自分が何をすべきか分かっている。
すべきことのために
蛍なら発光体を必死に光らせるし、セミなら腹面の発音器で鳴く

逆にカメなら自分が何をすべきかわかっていないのでは?と思ってしまう。
まだ、先の話と考えて、ノロノロと生きていけるのではないか?

もちろん、これはそれぞれが相対的なもので人間の物差しから測ったものだ。
では、この肝心の物差しはどーなんだ?

人間の場合
医療の発達によりどこまで長生きするのかわからない。
肝心の物差しはやはり人それぞれということになる。
どこまで長生きするか分らないのに、ギスギスのスケジュールをこなしていく。
また、余暇を楽しめる人間は、
「すべきこと」と余りに多すぎる「できること」がゴチャゴチャになっている。
いつなん時も分かれ道だが、「人生を振り返って分かるハッキリした人生の分かれ道」に来たときの、選ぶ基準が無くなってしまう。
選択肢が限りなく無限にある。このなかから一つ選ぶ。

その選択の先に待つ結果、惨かったり、後悔したりで、これからの自分の将来のことが不安で仕方ない。
また、それがいつまで続くのかわからない。。。
過去と未来の不安で板挟み、そして、そこからはじき出されてあえ無く自ら・・・。。。(?)
といったところだろうと思う。


そこで「どこまで医療は発達すればよいか?」の答えの断片として
自分の限界点(死の時期)が分らなくなるほど長生きできるような医療はいらない。ということがみえてきました。
なぜなら、
「ゴールがどのくらい先にあるかわからない、参加したという記録が残りそうにもないレースにあなたが参加する価値があるとは思えない」からだ。

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